第13話

=Evening in Paris、フィル・ウッズA=

さて、前回からの続き…

58年になると、当時新進気鋭のアレンジャー、ミシェル・ルグラン
有名な「ルグラン・ジャズ」なるオールスター・オーケストラによるアルバムを
リリースしますが、そこには多数のトップ・ミュージシャンと互角に、
相棒ジーン・クィルフィル・ウッズの名がクレジットされています。
ちなみにそのメンバーは、
マイルス・デイヴィス
ドナルド・バード
アート・ファーマー
ジョン・コルトレーン
ベン・ウェブスター
ハンク・ジョーンズ
ビル・エヴァンス
ポール・チェンバース
などそうそうたるもの。

のちにマイルスの名プロデューサーとなる、当時まだ無名のテオ・マセロ
バリトン・サックスで参加しているのもおもしろいです。
フィル・ウッズもフランスに渡った後、ルグランとの交流を重ね、
幾度となく一緒にアルバムを制作するなどしているので、
ひょっとしたらルグランの誘いでフランスに行ったのかもしれませんね。


59年からはやはり頭角を現しつつあった新進アレンジャー、
クインシー・ジョーンズのオーケストラに参加。
この時、一緒にアルト・サックスを担当するのは、
ジュリアード音楽院時代にフィルのクラリネットの先生だった
ジョー・ロぺスという因縁もあります。


同時期のクインシーのアルバムでは「クインテッセンス」が有名ですが、
こちらのアルバムは61年のニューポート・ジャズ・フェスティバル
ライブ盤で、よりハードでスウィンギーな仕上がりです。
特に、クインシーのオリジナル・バラード、Evening in Parisでは、
フィルが大きくフィーチャーされ、やはりすばらしいソロを披露しています。
ライナー・ノーツによれば、ステージの袖のブースでこの演奏を録音していたディレクターが、「いったいこのアルトを演奏しているのは誰だ?」
との声が聞こえたので振り向くと、声の主はジョニー・ホッジスだった
というエピソードもあります。


ちなみに、このアルバムではフィル・ウッズのオリジナル・アレンジも
一曲採用され、この頃からオーケストレーションの勉強にも
力を入れていたのが窺われます。
Quincy Jones and his Orchestra at Newport’61

同じ61年に製作されたポール・ニューマン主演の有名映画
「ハスラー」では、ほぼ全篇に亘りジャズが流れ、
それがこの映画独特の雰囲気を醸し出しているのですが、
明らかにフィル・ウッズのソロと思われるものが
大きくフィーチャーされているにもかかわらず、
映画自体にはどこにもフィル・ウッズの名はクレジットされていません。
興味のある方はぜひご覧になり、確認してみてください。
他にも2,3の映画でこれは、と思うものもあるのですが
いずれもクレジットがなく、定かではありません。



66年には、あのサド・ジョーンズ/メル・ルイス・オーケストラにも
参加しているのが写真などで確認されていますが、
残念ながら録音は残っていないようです。


そして68年に、満を辞してのフランスへの移住となり、
ヨーロピアン・リズム・マシーンのヒットとなるわけですが、
72年にはこのバンドを解散、帰米後レギュラー・バンドを結成し活動する傍ら、
ヨーロッパとの人的関係も続き、その後セッション、アンサンブル、ポップス歌手の
伴奏など多方面で活躍するようになります。


この時期の「極め付き」をいくつかご紹介すると…

まずはこれ、
75年に突然一人で来日し、ファンを驚かせました。
日本のニューハード・オーケストラとの共演の後、
コンボ演奏でのコンサートを一回だけ行ない、
風のように去って行ったのですが、
その時のリズムセクションが

市川秀男(P)
ジョージ大塚(Dr)
古野光昭(B)
さん達のトリオで、「Phil Woods & The Japanese Rhythm Machine」
と銘打ち、本家「ヨーロピアン」にも勝るホットな演奏を繰り広げました。


どういう経緯でこの来日が実現したのかは今もってわかりませんが、
慌てて厚生年金ホールに駆けつけたのを覚えています。
その時だったと思いますが、ステージの袖でリハーサル中のフィルの生音を盗み聴き、
本番中のマイクに乗せた音との兼ね合いでPAの使い方を学んだことも印象的な出来事でした。
スタジオの仕事が多い人はマイク乗り優先の音にセッティングすることもあるのですが、
生音が魅力的でなければ練習にも差し支えます。
フィルはそのどちらも両立するような音でその後の私の音作りに大変参考にさせていただきました。
その日のコンサートのライブ盤は日本限定版で「幻の名盤」と化していましたが、
最近CD化され、ようやく誰でも聴くことができるようになりました。

そのアルバム中でも特筆もののすばらしい演奏は、Speak LowとWindows。
Speak Low は超絶高速テンポでフィルのみならず、市川さんや
「日本のエルヴィン」と称されるジョージさんの演奏も凄絶で、
失礼ながら、普段からちょっと興奮症の市川さんでも「ここまでやるか」
というほどの迫力で攻撃的。私にとっては、この曲のベスト・プレイとなっています。

Windowsは今このタイトルを聞くと、パソコンのOSの宣伝かと誤解してしまいそうですが、
68年のチック・コリアの作曲で、モーダルなワルツの名曲として知られています。
フィルはスタンダード、オリジナルに拘わらず、選曲眼もすばらしく、
その選曲はいつも参考にさせてもらっていたのですが、
この曲を気に入った私が自らのバンドで必死に練習していたちょうどその時期に、
この日のコンサートの冒頭にこの曲が始まり、驚きと共にとても嬉しく誇らしく思ったのを覚えています。


77年にはフィル・ウッズの名を知らずとも、たぶん聴いたことがあるであろう
ビリー・ジョエルのアルバム、「ストレンジャー」がリリースされ、
フィルが間奏とソロを務める「素顔のままで」が大ヒットしたのは
あまりにも有名ですが、ちょっと時代は下り、81年にポップス歌手の
カーリー・サイモンがスタンダードを唄ったアルバム「トーチ」にも
フィルは参加しています。

それどころか、このアルバム、なんとマイケル・ブレッカー(*)、
デイヴィッド・サンボーン(*)も参加する豪華版なので、
三人を聴き比べるのも楽しいのですが、
なんといっても「ボディー&ソウル」のフィルのソロが極めつけ。
ほんの短いソロなのですが、おそらくドン・セベスキー のアレンジによる
舞い上がるようなストリングスと絡みあいながら謳い上げるフィルのソロは
ちょっと忘れることができません。


78年にはフィルのオリジナル曲を自らがオーケストレーションし、
在米のレギュラーグループにストリングス、ブラス、サックスを加えた
「I Remember」をリリース。
録音はイギリスで行ない、かつてヨーロピアン・リズム・マシーンの
メンバーだった 英国人ゴードン・ベック(P)やイギリスで活躍するカナダ出身の精鋭、ケニー・ホイーラー(Tp)も 参加しています。
アレンジも斬新ですばらしく、彼のアドリブと同様、決してトリッキーではなく、
正統派のオーケストレーションで、アレンジメントの勉強もしっかり習得していたのがわかります。
それでも見せ所はやっぱりフィルのアドリブ・ソロ。
このアルバムの曲はそのスコア(総譜)が出版されたので、当時の学生バンドにも人気があり
よく演奏されたのですが、そのソロはちょっとやそっとでは真似できるものではありません。
特に、チャーリー・パーカーに捧げたアップテンポの曲「Charles Christopher」では、
しどろもどろのピアノやトランペットを尻目に、7thコードが連続して半音下行する時に、
いったい何通りの調解釈ができるかという課題への模範解答のようなソロを披露しています。


ジャズの黄金時代であった50〜60年代は、ある意味ではたいへんな競争、競合の時代でもあり、
よほどの実力がなければ表舞台には立てなかったのですが、その時代を勝ち抜いた名人達で存命の方が
次第に少なくなりつつあります。
最近は某楽器メーカーのコマーシャルで時折元気な姿をお見かけするフィル・ウッズさんですが、
私達後進の者にいつまでもその名人技を誇示し、君臨し続け、お元気で活躍されることをお祈りします。

次回へ続く


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