クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)

1933~
ミュージシャンからアレンジャー、プロデューサー、経営者へと八面六臂の
活躍をした最初の黒人音楽家。
シカゴ出身で、レイ・チャールズ とは少年時代からの友人。
そもそもはトランペッターで、51年、18歳で音楽学校の奨学金を蹴って、
ライオネル・ハンプトン・オーケストラに参加。
クリフォード・ブラウンアート・ファーマーらと席を同じくする。
その頃からアレンジメントの才能を発揮し、カウント・ベイシーなどにアレンジを提供、56年にはガレスピーのバンドにアレンジャーとして参加の後、自らのバンドも結成。64年にはマーキュリー・レコードの副社長となり、経営に
参加。以後、ソウル・ミュージック、ポップス色が強くなる。 60年代まで、ジャズの世界ではアレンジャーというと「裏方」のイメージが強かったが、彼の活躍が象徴的なサクセス・ストーリーとなり、後進のミュージシャン達にオリジナルやアレンジ、ミュージック・ビジネス志向への強い影響を与えることになる。 85年のUSA for AfricaではWe are the Worldのプロデュース、指揮を担当したのは有名で、その後もマイケル・ジャクソン、フランク・シナトラ*など大物と仕事をする。 グラミー賞を27回受賞。日本では「愛のコリーダ」の音楽で
有名。

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