スタン・ゲッツ(Stan Getz)

1927~1991
レスター・ヤング直系のテナーサックスの巨匠。
ユダヤ系ウクライナ人の移民を両親に持ち、フィラデルフィアに生まれたが後にニューヨークに移住、
13歳でサックスを始め、15歳でThe All City High School Orchestra of New Yorkに選出される。
その縁でニューヨーク・フィルのバスーン奏者に指導を受けたが、ひょっとすると、彼の、サックスとしては
ちょっと変わった運指法はこの時に由来しているのかも。

43年、若くしてプロ活動を始めたスタンはその後、スタン・ケントンベニー・グッドマンライオネル・ハンプトンと有名オーケストラを歴任し、47~49年の間、ウディ・ハーマンのSecond Herdに参加。
名曲Early Autumnのソロで一躍世界に名を馳せる。
また彼をリードに据えたサックス・セクションのフィーチャー曲、Four Brothersもヒット、
同じセクションのズート・シムズ アル・コーン などに強い影響を与える。

ハーマンのバンドを退団し独立したスタンは精力的にコンボ活動を始め、
49~51年に最初のレコーディングのピークを迎える。
その代表作が彼のニックネーム“The Sound”をそのまま冠したRoost盤の”The Sound”やPrestige盤の“Quartets”。

(Quartets, 1949)

(The Sound, 1951)
61年、一時的な移住先の北欧から帰国。
麻薬中毒を抱えたスタンは療養のためか50年代中期に数年間コペンハーゲンに移住し、
音楽活動も控えめであったが、友人であるチャーリー・バードがブラジルへの演奏旅行で仕入れてきた
ボサノヴァなる新たな音楽を聴かされ、すでに契約関係にあったVerveのクリード・テイラーに持ちかけ、
62年にレコーディング。これがボサノヴァ時代の始まりで、最初のアルバム“Jazz Samba”のDesafinado は大ヒット。
この曲はEP盤にもなり、スタン・ゲッツは当時人気絶頂だったジョン・コルトレーンからダウンビート*誌の
ポール・ウィナーを奪い取ることになる。
続く“Getz/Gilberto”のイパネマの娘もヒットを続け、そのモデルとなった女性を探し出す、
という社会現象にまでなった。
あまりにもポピュラーな路線のスタンに硬派のジャズファンは眉をひそめる向きもあったようだが、
しばらくはボサノヴァ路線が続くことになる。

(Jazz Samba, 1962)

(Getz/Gilberto, 1963)
60年代後半になると、本来のジャズ路線に戻ろうとするスタンと、まだまだボサノヴァで儲けようとする
ヴァーブ・レコード(Verve)の間に軋轢が生じ、チック・コリアらとのセッションも実現するが、結局はVerveから離れることになる。
この辺のアルバムが“Sweet Rain”、“Captain Marvel”で、モダンな奏法も若干取り入れ、
その後メンバーを変えながらセッション的なアルバムをリリースするようになる。
晩年になると、ケニー・バロンジョージ・ムラーズとのグループでリラックスしたプレイを見せた。

(Sweet Rain, 1967)

(Captain Marvel, 1972)

(Voyage, 1986)

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