アート・ブレイキー(Art Blakey)

1919~1990
ファンキー・ジャズの流れを作るジャズ・メッセンジャーのリーダーであると共に、マイルス・デイヴィスと同じく、新人を発掘し育て世に送り出すスター・システムとしてのジャズ界への貢献度は非常に大きい。 44年にビリー・エクスタイン・オーケストラに加入、マイルスやパーカーと共演、54年にホレス・シルヴァーと初代ジャズ・メッセンジャーズを結成、56年にシルヴァー脱退後もミュージカル・ディレクターとしてシダー・ウォルトン*、ウェイン・ショーターなどを起用し、晩年まで“親分”として君臨した。巣立った“卒業生”はクリフォード・ブラウンリー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター、フレディ・ハバードなど多数。ドラマーとしては現在あまり評価されていないようだが、アフロ・スタイルのドラム・ソロで人気を得、一方ソロイストのバッキングではインタープレイを重視、臨機応変なフィル・インに備えるため敢えて右足、左手を温存するなど、今となっては当たり前のレガート・シンバル奏法ですっきりとしたドラミングにするなど、その後のモダン・ドラムにつながる重要な功績がある。

「チュニジアの夜」は元々ディジー・ガレスピーの作曲で、パーカーとの演奏が有名だったが、このジャズ・メッセンジャーズによる演奏で更なるヒットとなる。このレコードではゴルソンのテナーに替わり、新たにウェイン・ショーターが参加。ブレイキーのアフロ・スタイルのドラム・ソロとリー・モーガンのソロ、エンディングは特筆もので、その後さらに多くの人にカバーされることになる。
クリフォード・ブラウン
リー・モーガン
ベニー・ゴルソン
ホレス・シルヴァー

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